KristiとYokyのファイヤサイド

Aki Machida

2026年1月30日に行われた、Keizaiシリコンバレーでのゲスト対談として、Kristi YamaguchiさんとYoky松岡さんのファイヤサイド・チャットが行われました。これは要約の和訳です。


インタビュアー(ヨーキー松岡氏): (お互いの挨拶省略)

非常に興味深い質問があります。個人競技のフィギュアスケートで頂点を極めるに当たって、挫折もなしに突き進まれたのでしょうか?なにか落ち込みを経験したはなかったのでしょうか?


クリスティ(Kristi Yamaguchi 1992 年アルベールビル・オリンピック金メダリスト): 時々、人は立ち止まって考えます。「私は何をしているんだろう?本当にこの道に向いているのか?それだけの価値があるのか?」特に10代の頃は、そうした迷いがとても 大きいですよね。「別のこともできるし、やめることもできる」と思ってしまいまし た。 でも、私が気づいたのは、多くの人が「大きな犠牲を払ったね」と言うけれど、私自身は犠牲だとは思っていなかった、ということです。これは自分で選んだ道でした。最高レベルで競技したい、その思いがありました。 毎晩7時半に寝て、朝4時に起きる生活は、(しかも高校時代は特別な授業を組んでもらって、11時まで練習していたので)確かに普通の10代が望むものではありません。でも、次の大会に向けて準備し、メダルを狙い、仲間たちと大会で再会するためには、それが必要だと分かっていました。 オリンピックの約1年前、実は競技をやめかけたこともあります。(松岡さんも驚き)期待とプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。 そこで私は、もう一度スケートの「楽しさ」や「喜び」を見つけ、自分でコントロールを取り戻す必要がありました。 外からのプレッシャーに振り回されるのをやめ、見方を変えた瞬間、再び力が湧いてきました。喜びが戻ってきたんです。本当に、昼と夜ほどの違いでした。 そして、それがあったからこそ、オリンピック代表になれたのだと思います。


インタビュアー: 一度、挫折や落ち込みを経験したことが、次のレベルに進むために必要だった、ということですね。


クリスティ: 間違いなくそうです。それがなければ、苦しいままで、自分の可能性を十分に発揮できなかったと思います。


インタビュアー: ここはシリコンバレーです。高い成果を出す人たちが集まっていますが、あなたはまさ に“ハイパフォーマンス”の象徴です。 競技時代に培った習慣や考え方で、今の人生や仕事、子育てにも活かしているものはありますか?


クリスティ: 幼い頃から一つのことに集中してきたので、時間の優先順位や管理の仕方を自然と学び ました。 宿題も仮眠も食事も、ほとんど車の中でした。1日のすべての時間を計画していました。 その習慣は競技後も役立っています。大事なことに取り組む時は、「何が求められているか」を理解し、準備を徹底します。 本番で緊張しても、「準備はやり切った」という自信が支えになります。 また、スケートは個人競技ですが、決して一人で成し遂げたわけではありません。コー チ、家族、団体の支えがありました。 今の非営利活動でも同じです。私は表に立っていますが、支えてくれる素晴らしいチー ムがいます。共通のビジョンを持つ仲間がいてこそ、前に進めます。


インタビュアー: オリンピック金メダルという頂点を経験した後、次の道をどう決めたのですか?


クリスティ: 「次は何をするの?」という両親の問いは、人生で最も大切な質問の一つでした。 両親は常に「社会に還元すること」を大切にしていました。夢を追えた幸運を、どう社会に返すのかを考えなさい、と。 子どもの頃から「栄光に安住するな(Never rest on your laurels)」と言われ続けてきま した。 その考えが、新しい情熱を生み、それが Always Dream (NPO活動) につながりました。 子どもたちの人生に前向きな影響を与えたい、そう思ったのです。


Always Dream について: 2012 年以降、私たちは「初期リテラシー教育」に注力しています。教育の土台は読み書きです。 私たちは、就学前から幼稚園児向けに質の高い本を提供し、同時に家庭での関わりを重 視しています。 家庭で親が最初の先生になることが、子どもの読解力成功の最大の要因だと研究で示されています。 現在、年間約5,800人の子どもと家庭を支援し、ベイエリアとハワイの40校と連携しています。


印象的なエピソード: エミリオという男の子がいて、入園当初は言葉を話せませんでした。祖母がプログラムを真剣に実践し、家庭で読み聞かせを続けました。 その結果、特別支援学級から通常の幼稚園クラスへ移ることができました。このような変化こそ、私たちの原動力です。


インタビュアー: 最後に、これからの人生の次の章について、どんな「レガシー」を残したいと思ってい ますか?


クリスティ: それは、今も考え続けているテーマなんです。


インタビュアー:短い間でしたが、素晴らしいお話、ありがとうございました。


Kristi Yamaguchiさんについて:超有名人なので、Youtubeのインタビューがたくさんありますが、ハワイで受けたインタビューの話は重みがあります。他にもたくさんありますから、英語の練習のつもりで観てください。


簡単に要約すると、両親はそれぞれ強制収容所に入れられていたということです。お父様は歯医者になられ、クリスティは下肢が曲がって生まれたので、生まれてから18ヶ月もギブスをして、矯正も兼ねてフィギュアスケート・シューズなら運動が出来るだろうということで、フィギュアスケートを始める事になったのだとか。6才のときにアイスショーを観て、これだ、と心に決めたということです。オリンピックではトリプルアクセルを跳ぶ伊藤みどり選手やトーニャ・ハーディングがいて、3Aが出来ないクリスティはトリプル・トリプルのコンビネーションジャンプを見事に決めて優勝できました。個人スポーツでジャッジによる評価で勝敗が決るのは、絶対にミスを許されない厳しさがあります。しかも、1万人以上の観客の中でたった一人で演技する競技は他に類がありません。とにかく素晴らしい方です。


インタビューアーの松岡洋子さんについて:貴重な日経新聞の記事がありました


3才年下のテニスプレーヤー・杉山愛さんとは一緒に湘南スポーツセンターで技を磨き、杉山選手がフロリダの世界的に有名なスポーツのためのIMGアカデミー藤沢校 に進むと、松岡さんは16歳でフロリダへ飛び、IMG本校に留学してスポーツだけでなくスポーツの研究や技術革新を学びました。松岡さんもプロを目指していたものの、3度の足首骨折で断念し、テニスをするロボットを作りたいという願いでUCバークレーに入学。卒 業後、MITに進んで博士号を取得しました。この時、MITの教授たちの娯楽相手として 接待テニスを楽しめたことで、自身のリソースとして多いに役に立ったと講演会で聞い たことがあります。


Aki Machida 町田 晶弘
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