Global Innovator Solutions
シリコンバレー奮戦記(はじまり)

Aki Machida

シリコンバレーに来るきっかけ


海外に移住するきっかけは人それぞれです。私はHP社がどんな会社か良く知らずに、英語もそれほど出来ないのに日本法人のYHP社に就職が決まり、営業・マーケティングを経験しました。


YHPの最初の仕事は社内用半導体を外販する部隊のテクサポです。ここで徹底的にUSから来たカタログを翻訳して英語慣れしました。何しろ入社した頃はTOEIC600ぐらいで、英語ができないと前に進めないのは見え見えでしたから、SONYのLLなどに通って英語を猛特訓しました。


営業になってからも、毎晩FENをタイマーで毎時間ごとのニュースをカセットテープに録音し、営業車の中で大音響で再生し、反復していました。とにかく喋るスピードとイントネーション重視で、信号で止まるごとに辞書を引き引きしてました。


営業も頑張って事業部長賞もらってUSでのイベントで表彰してもらいました。


USの営業はアプリケーションノートを駆使して、お客様の問題解決を提案するという、知的販売をしていたのです。日本に戻って、部長にソリューションセールスのツールが必要だと訴えたら、「お前がやれ」ということになり、給料の高かった営業から、24-7のブラックなマーケティング生活が始まりました。


はじめはUSのお客様向けの製品を日本向けにちょっと変更して販促資料を用意して拡販していましたが、ちゃんと日本向けに製品を作らないと、大受けしないという論理を展開して、1年半USに出向して製品開発に携わり、大成功を収めました。


それがZIPPER2です。別のブログに詳しく経緯が書いてあります。
競合の倍の値段で押し切って売れますので、正にマーケティング冥利に尽きる成果でした。

Zipper2成功物語

その後、10人のメンバーと沢山のJapanFocus製品をリリースし、大当たりを連発しました。

色々あって営業強化を命じられ、3年ほど技術営業課長を務めましたが、奇抜な製品(CMOSセンサー)が出てきたところで、マーケティングに呼び戻され、ゼロイチに取り組んだのです。


写真は空中マウスと卓上マウスの試作品です。

一年半の苦しい沈黙(辛酸)を経て、マイクロソフトとアップルで採用され、アジアを中心にとてつもない大当たりとなりました。


光学マウスです。ブログに詳しく経緯を残しました。

https://global-innovator-solutions-u9k9b.zensmb.com/my-postbfc97eb4


更に、アジア諸国からもマーケティングの面倒を見てくれないかということになり、ならばいっそのことUS本社で活躍させて欲しいと嘆願し、2000年5月連休中に本社からお呼びがかかったのです。


L-1 VISAを用意してもらって、日本のマンションは貸し出すため家具を処分して2000年の9月11日に家族を連れてシリコンバレーのパロアルトに到着しました。 (着任後編に続く)


シリコンバレー奮戦記(着任後)
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