Career Footage

Aki Machida

HP→Agilent→米国→スタートアップ→Fujifilm→独立(GLOINNS)


私は、20年以上HPに在籍し、アジレントに移り、43歳の時に2度目の米国派遣をしました。7年後、50歳でスタートアップに飛び移り、2社で12年働き、62歳になっても更に富士フイルムで3年の経験を積みました。多くの成功(そして失敗・挫折・辛酸も)を経験してきたことをもとに、シリコンバレー(SV)に既に進出している企業はもちろん、SVに進出を計画している企業、SVで起業したい、または計画中の方々にリスキリングとアドバイスを提供する合同会社(LLC)を設立いたしました。このLLCを活用して、最適な結果を最短時間で出すための支援をしております。以下は正式契約を結んでいる企業です。


ダイチューテクノロジーズ(HDD/SSDの高温試験槽を提供する中堅企業):米国進出支援業務


FukuroVision(シャッターレス遠赤外線カメラのソリューションを提供する東京のスタートアップ):マーケティング・ディレクター


Myrias Optics (高屈折率メタレンズを実現するマサチューセッツ州立大学のスタートアップ):ビジネスデベロップメント


日本電気硝子株式会社 薄膜事業部  (大型インライン・スパッタリングによる無反射コーティングや光学フィルター部門):新規事業支援


Fluid Reality  (神経が集中する指先へのフィードバックを可能にしたカーネギーメロンのスタートアップ):ビズデブ担当


また、学生さんにも体験談をシェアしたくて、玉川大学の臨時講師と情報経営イノベーション専門職大学(i-U)の客員教授を引き受けています。https://www.i-u.ac.jp/people/19485/



プロダクトマーケティングの成功例の軌跡(写真左下から右上へ)と本事業を発足するに至った経緯

HPが開発したロータリーエンコーダを、小型化し、更にリニア型にして、世界中のインクジェットプリンターに採用いただきました。初めのモックアップはユニ消しゴムをカッターで切って開発陣に提案し、そのとおりのサイズで作ってもらいました。30年経った今でも使われているということで、事業貢献度は5000億円を超えています。(ブログに
Zipper2成功物語を載せました)https://gloinns.com/zipper2

HPの電子部品部門はその後、Agilentになり、Avagoになり、現在はBroadcomになっています。(カタログ参照)


世界中の
交通信号に、日亜化学様との協力によって、超高輝度四元系ALINGAPを採用してもらいました。赤と黄色がHPの超高輝度四元系ALINGAP。日亜化学様の青と組み合わせて、まず日本の監督官庁に提案。その後の日亜化学様の緑の開発成功で、日本以外の市場に展開しました。この話は日亜の小山様が執筆した「青の奇跡」という本に詳しく出てきます。アマゾンのリンクから購入してみてください。

高速赤外通信用のモジュール
IrDAはソフトメーカ、LSIメーカ、競合まで含めたコンソーシアムを形成し、当時、世界一と謳われたノートパソコンにも採用されました。その後、新たなコンソーシアム「IrMC」をドコモ様と提案し、折りたたみ携帯の電話番号交換用に広く採用されました。一時はかなりの量を出荷したヒット商品でしたが、ガラケーの衰退やBluetoothの登場でディスコンとなりました。

ボールマウスを覚えていますか?CESの前身である
コムデックス1999 (April 19, Chicago)  でビル・ゲイツ氏がアジレント製の光学センサーを採用した光学マウスを発表し、ほんの数年で世界中のすべてのマウスが光学式に変更になりました。製造元であるアジア地区において、販売、納入、価格、製造品質の改善、競合対策、コピー品排除など、顧客満足を追求する戦略を徹底的に実施し、アフターマーケットとOEMマーケットの両方で独占的な地位を築き上げました。さらに、ワイヤレスマウスの開発においても、多数の特許アイデアを出願し、パートナーICメーカーと協力して、要求仕様を満たすセンサーを開発しました。https://gloinns.com/my-post1a228193


アジレントのCMOSイメージセンサ事業はパソコンカメラで大成功を収めてましたが、製品開発政策をおもちゃみたいなチープなデジタルカメラではなく、携帯カメラに変更するよう提案し、チップオンボードの
カメラモジュールのプロジェクトをスタートしました。結果、欧米の携帯カメラに広く採用されることとなりました。これが現在のカメラモジュールの世界標準になっています。売上としては 1000億円を超えましたが、その先の利益率低下予測のために、事業は人員ごと競合に売却されました。このあたりの状況はBLOGに記録してあります。https://gloinns.com/sv-life

なんと、50歳でスタートアップ企業に転身し、世界初のLPD、
レーザ・フォスファー・ディスプレイの開発購買に10年間携わりました。パネル関連と殆どの能動部品と生産治具を日本から調達し、ボストンの開発グループと日本のベンダーさんと毎日のように打ち合わせ、苦しい財政状況の中で3機種の新製品発表を実現しました。台湾、中国のオフショア生産にも関わり、品質問題にも取り組みました。私が関わった最後の製品は米国と中東の客先に納入され、その設置の映像例がWEBにアップされました。また、USのスタートアップでの業務や労働環境などはこちらに紹介してあります。https://gloinns.com/startup


量子ドットの
ナノシス (Nanosys) に61歳で移動後、新規事業の立ち上げを策定中、米中貿易戦争に巻き込まれましたが、日本の企業2社との共同開発契約を締結し、製造委託の初期交渉までも成功させました。このライセンス生産先である昭栄化学が後にナノシスを買収することになり、きっかけに関われたことは誇りになりました。さらに、2023年のノーベル化学賞に量子ドットの科学者が選ばれ、感無量です。

フジフイルムのショールームの館長という 職務を63歳直前の2019年秋に頂きました。日本同様給与は下がりましたが、展示品のホコリでも叩きながら5年くらいのんびり出来る、と思ったら、駐在員のビジネスデベロップメントをお手伝いすることがJDに追加されており、慌てました。しかもコロナで誰も来なくなり、閉館を余儀なくされてしまいました。そこで、3D映像を撮影し、WEB上に常設展示することで、コロナ期間中にも関わらず、VirtualVisitorはコロナ前の6倍を達成しました。MatterPortという安価なサービスを使い、成功例のケース・スタディーとして彼らのサイトに保存されています。 

https://matterport.com/industries/case-studies/fujifilm-sees-6x-boost-open-innovation-hub-visitors-matterport


特に、コロナの3年間で、日本からの駐在員が、大変なプレッシャーを背負ってシリコンバレーに来ていることに気付き、そのメンタリティーが Forbes Japanの記事として紹介されています。  https://forbesjapan.com/articles/detail/47797


コロナが開けると同時に職務を解かれ、フジフイルムを退職した際に、これまでの自分の経験や知見がお役に立つのではないかと考え、独立する決意をしました。現在2025年。独立当初はクライアント獲得に苦戦しましたが、2年である程度の地盤が出来るようになりました。また、毎月のニュースレターも沢山の方々に読んでいただいているようで、感謝しております。


私の奮戦記や子育て話も参考になるかと思いますので、ぜひご覧ください。

はじまり編:https://gloinns.com/before-come-to-sv

着任編:https://gloinns.com/sv-life

生活編:https://gloinns.com/sv-survival

他:https://gloinns.com/blog-list